実家に帰ったときに通知表と卒業証書を持って大阪に戻った。
義母が大切に保管していたと言う。
私がもっと大人になったら、これを見せて語らいあうのを楽しみにしていたそうだ。
5月11日の朝、親父から電話がかかってきたとき
「お前、こっち帰ってこれないか」
「どうした?親父、何でや?」
「お前には黙っていたけどな、母さんがもうだめだ・・・」
「・・・」
「癌でな、もう危ないんだ、もう・・・」
「帰って来い!」
最後は涙声で叫ぶように・・・
「わかった。けど、今、交通費が足りないから飛行機では帰れない。とにかく列車でもなるべく早く帰るから・・・」
驚いて声も出せない状態でした。
そのとき、実家には親戚のものが集まっていて、義母の実母が「ああ、もうだめだべ」と言い捨てて、親父が泣きながら「そんなこと言うなら帰ってくれ!」と怒鳴った後のことだったそうです。
「お兄ちゃんがその場にいなくてよかった。いたら、殴っていたよね・・・」
・・・妹の言葉です。
確かに昔の私なら、相手が誰であれ後先考えずにぶん殴っていただろう。
「母さん、お兄ちゃんのこと死ぬまで心配してたんだよ。でなかったら、帰って来いなんて言わないよ、誰も」
・・・この言葉ひとつ取っても私の立場がわかるだろうと思います。
過去にあんな仕打ちをしていた義母が私を心配?
警察沙汰にこそならなかったものの、人にはちょっと言えない悪さばかりしていた私を心配?
最初は信じられなかった。
けれど、大事にとってあったものを見て、思わず涙しました。
義母との2ショットの写真。
1枚もないと思っていました。というか、いつ撮ったのかも忘れていました。
それをずっと取っておいてくれていた。
「お兄ちゃんが一番可愛がられていたんだよ。私なんてさ、高校受験するとき何て言われたと思う?」
「これからお兄ちゃんにお金がかかるから、お前は高校行かないで働くか、一番安くつく公立高校でなければ行かせられないって言われてね、お兄ちゃんがうらやましかった」
「お兄ちゃん、母さんね、お兄ちゃんには厳しくあたったかもしれないけど、親戚の人にはお兄ちゃんの悪口ひとつも言ったことないよ。だから、みんなお兄ちゃん遠いところからよく来たね、って言ってくれるんだ」
いまさらそんなこと言われたって・・・
馬鹿野郎、もっと早く言ってくれよ、生きているうちに。
・・・いや、馬鹿は私だ。
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