390Xという人間(1)
小4まで学校は楽しいところだった。
義母が親父と再婚してから家に入りたくなくて、私は夕食前ぎりぎりまで外で遊んでるような子どもだった。
私には腹違いの妹がいるんだけど、生まれた時から知っていたわけではない。
私が妹と初めて会ったのは小2、妹が2才か3才の頃。
何故か?
祖父母が親父と義母の再婚に反対して家に入れなかったからだ。
そんなわけで私は祖父母に育てられたのだけど、小3までの短期間で3回くらい祖父母と別居生活を経験している。
始めは夏休み期間中を義母・妹・親父で滝川市内のアパートで過ごし、学校が始まったら一人祖父母の家に戻った。
それからしばらくして小学校に近いところの貸家で1ヶ月くらい親父と二人で暮らし、その後小学校の向いのアパートで義母・妹・親父の4人暮らしを数ヶ月続けて、また祖父母の家に戻った。
私の母は私が生まれて3ヶ月もしないうちに離婚して出ていったから、それまで母親がいなかった。
おばあちゃん、おねえちゃんと呼べる人はいても、おかあさんと呼べる人はいなかったから。
親父に「この人がおかあさんだ」と義母とひきあわせてくれた時は、単純にうれしかった。
妹は親父と義母の子だけど祖父母が反対していたので、2、3才になるまで会えなかった。
小2でいきなり母親と妹ができたんだ。
母親の写真1枚もなかったし、舞い上がったね、そりゃ。
最初の短いあいだだったけどね。
その頃は義母も優しかったし、私も母親ができてうれしかったよ。
それが一変したのは祖母が病気で倒れ、寝たきりになってからだった。
小3の終わりだったか。
祖母が胃の中を吐いて倒れた・・・
そして、そのまま寝たきりになってしまった。
その祖母の介護で家に入ることを許されたと後から知った。
介護のつらさを知った今だからわかるけど、義母はすごいストレスがたまって苦しかったんだろう。
その一方で3才と障害児の私の世話と重なって精神に異常が起きていたんだろうと思う。
けど、小学生の私にはわからなかった。
家に入ってから義母は私にとって鬼と化した。
親父が出稼ぎでお盆と正月くらいにしか帰ってこないあいだは私にあたりちらした。
「おかあさんと呼ぶんじゃない!」
「あたしはお前の母親じゃないんだ。おまえの母親は赤ん坊のおまえを捨てて出ていったんだ」
「こんなかたわがいるとわかっていたら、嫁に来なかったのに。あたしは騙された」
こんなことを中学のある時期まで何年も言われ続けた。
家庭訪問なんか、手でシツシツと犬でも追い払うような真似されていて、親戚の集まりでも私だけ連れていかれなかった。
障害者は恥ずかしいからって。
そうか、私は恥ずかしい人間なのか。
その頃は黙ってやられっ放しだった。
ただただ悲しくて泣くだけだった。
やられたらやりかえすのが信条になったのはもっと後の話。
そのことがきっかけで義母と冷戦状態に入るのだけど、それはまたの機会に話そう。
この頃から死にたいと思うようになった。
死ぬのが怖くてできなかったけど。
家が楽しいところではなかった。
学校は障害者に関係なく普通に遊んでくれる友達がいて楽しかったから毎日行っていた。
夕食時まで図書室で本を読んだり、外で遊んでることが多くなった。
祖母が亡くなって、すぐ祖父が寝たきりになった。
祖母を追うように祖母の亡くなった翌年、祖父が逝った。
大人になって気がついたことがある。
上のような罵詈雑言浴びせられたり時には叩かれたり殴られたりしたけど、ひもじい思いだけはした記憶がない。
・・・本当は最初会ったとおり根の優しい、人のいい人間なんだろうな。
祖母と祖父と二人の介護を、下の世話など全部文句言いながらも一人でこなしていた義母。
その苦しみが優しさを奪い取っていたとしても無理がないのは、今ならわかる。
介護の現実を知ると頭が下がる思いだ・・・
汚物処理も食事させることも体を洗うことも一人でやっていた義母。
私にあたるくらいしかなかったんだろうね・・・
けど、あれから30年以上経った今も、義母から受けた仕打ち・言葉は忘れていない。
死ぬまで忘れられない。
死んでも許すことができない。
心の狭い矮小な人間なんです、私は。
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コメント
ひまじんさん。
それは買いかぶりですよ(大汗)
投稿: 390X | 2006年3月16日 (木) 午後 02時57分
こうやってコメント出来るんだから、390Xさんは義
母さんを許してるんですよ。心の狭い人間なんて、思わないでほしい、大きい人間ですよ(絶対)
投稿: ひまじん | 2006年3月16日 (木) 午後 02時41分
ねこめさん。
読んでくれてどうもありがとう。
滝川、札幌の小学校までは救いの場でしたよ。
詳しくは(2)に書きます。
UPは近日予定。
投稿: 390X | 2006年3月15日 (水) 午後 05時59分
こうして今自分を冷静に綴れるのは、凄い事です。子供の時に受けた傷なんて、そうそう簡単に忘れたり許せたりできる訳ないですよ。
これでもし学校が救いの場所で無かったとしたら・・・考えるだけでゾっとします。
投稿: ねこめ | 2006年3月15日 (水) 午後 05時27分
MA$AYOさん。
コメントどうもありがとうです。
いいんですよ、読んでいただけただけで。
投稿: 390X | 2006年3月15日 (水) 午前 11時59分
コングさん。
はい。
自分が同じ立場になったら同じ思いをさせないと胆に銘じてます。
祖父母が逝ってしまった今、何故反対したのか理由はわかりません。
親父に聞いても、人の悪いことは言わない人ですから・・・
親父も義母も、いわゆる貰われっ子なんでそのあたりで共感して結婚したんだと思うけど・・・
ただ、親父も義母も「子供にはひもじい思いさせたくない」という信念みたいなものは共通していて、どんなに喧嘩しても食事だけは差別なくさせてくれました。
そんなことを後から思い、本来は優しい人間なんじゃないかな・・・、義母だけが悪いわけじゃないと思うようになった。
ただ、頭でわかっても感情は別です。
投稿: 390X | 2006年3月15日 (水) 午前 11時58分
ひろさん。
そうですね。
まだまだ時間がかかりそうです。
あとどのくらい時間が残されている・・・かな?
投稿: 390X | 2006年3月15日 (水) 午前 11時47分
重い…
重すぎてコメントできない…です
投稿: MA$AYO | 2006年3月15日 (水) 午前 10時44分
反対された理由が深刻なほどあったのでしょうね。
それが違った形で義母さんにあらわれてきたのだと思います。それが義母さんの宿命だったのだと思います。並大抵の苦労じゃなかったとは思うのですが、精神的にショックを受けた子供のほうが、私は被害者だと思いますね。だから未だに390Xさんは忘れられないのです、よく理解できます。
私もね、自分の娘には複雑な思いをさせないように、自分がきちんと生きていきたいと思っているんです。
忘れなくてもいいと思います。ただ、そのいやだった思いを同じ立場に例えなったとしたら、相手に与えないようにすればいいんだ、と思うことができさえすれば、きっと浄化される気がします。
投稿: コングBA | 2006年3月15日 (水) 午前 09時21分
憎いと思う相手の気持ちを推し量ることができる余裕ができるまでには
それなりの時間が必要だったのでしょうね
お互いに余裕ができたときにようやく分かり合えるのかもしれませんね
投稿: ひろ | 2006年3月15日 (水) 午前 08時54分
ayaさん。
どうもありがと(._.ゞ)ポリポリ
まだ続きます、これ。
恨みも憎しみも無くなればいいんだけど・・・
投稿: 390X | 2006年3月15日 (水) 午前 12時31分
こんばんわ☆
今日の東広島は、雪のちらつく寒い1日でした。
自叙伝、読みました。
それほど裕福な家庭環境に育ってはいないけれど、
健康には恵まれていたので(入院生活した経験がないの)、
390Xサンの心の奥底や今まで受けた傷の深さの10分の1も理解できていないような気がしています。
のほほんと生活してきた私なんかには、想像も出来ない事なんだろうなぁと思いました。
でも、
止まない雨はないし、日の昇らない朝もない。
色んな人生経験が、これからの糧になると思います。
人は、決して一人では生きていけないし、
人を頼らなければ、生きて行けないものだと実感しています。
また、人の心の痛みを判る人間でありたいと考えています。
390Xサンと、ご縁があって良かったなぁと思っています。
30年後には、恨む心も薄れていると思いますよ。
投稿: aya | 2006年3月15日 (水) 午前 12時16分
冬薔薇さん。
・・・そう願いたいです。
投稿: 390X | 2006年3月14日 (火) 午後 10時20分
うにゃさん。
ありがとうございます。
私がどんな人間かは、(2)(3)と読んでいくうちにわかると思います・・・
投稿: 390X | 2006年3月14日 (火) 午後 10時16分
許せなくてもいいんじゃない。
大人になって お義母さんの辛さに
気が付いてあげただけで
今は 充分だと思うけど・・・
その気持ちをもってれば
いつか 自分の心に決着がつくよ。
投稿: 冬薔薇 | 2006年3月14日 (火) 午後 08時45分
つらかったね。悲しかったね・・・。
390xには当時の義母の大変さを思いやるやさしい気持ちがあるじゃない。自分を悪くいうのはやめようね。
投稿: うにゃ | 2006年3月14日 (火) 午後 08時15分