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2006年1月28日 (土)

ペトロ三木ブログ

ペトロ三木氏のブログを読んでいる。

『ジェネジャン!!』に出演したのを見てから興味を持ったのであるが。

正直に告白する。

彼のブログを読んでも、いまいち私には理解できていないことが多い。

自殺志願者に対し、私は理屈もへったくれもなく感情で記事にした。

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『ヴァニシングポイント』奥山貴宏著
20日のジェネジャン!!の記事

「自殺したいなんて言ってる奴はアホ」とか
ヌカして説教タレたがるのも、バカの同類。

私は説教する気はなかったが、私もバカの同類なのだろう。

人間は誰でも自殺衝動を持ちうるコトや
自殺を遂げるまでの不可解な行動とかを
想像できてない。

自殺衝動は私にもあった。
死んだほうがよほど楽かと思った時期も多分にある。
けど、死ねなかったのは極限の状態まで行ってなかったんだと思う。

唯一共通してたのは
「うまくやろうとしたができなかった」ってコトだ。

私はこれは死にたくないからだと考える。
誰だって死ぬのは怖いんだ。
だから頭ではうまくやろうと思っても、死にたくないって気持ちがあるのだからうまくいかないのは当然だと思っている。

「想像力の貧困さ」と思うなら、それでもいい。

私には思ったことをそのまま書くことしかできないのだから。

(黄色の文章はペトロ三木氏のブログより引用させていただきました。)

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コメント

ひりゅーさん。
ご訪問ありがとうございます。
そうですね。
すごく誤解されやすい人だと思います。
私はわかったような気がするだけでまだペトロ氏を理解したわけではありませんが、番組を見た限りではなかなか熱い人物のようです。

投稿: 390X | 2006年2月 9日 (木) 午前 09時23分

トラックバックどうもありがとうございます♪
私はペトロ三木さんの事は、恐らく何度か見たことはあるんだと思うんですが…注目していなかったので、あまり覚えていない人でしたが…今回のジェネジャンSPで注目した人でした。

最初この番組を見ながら思った感想は…「何なんだこの人は?!」って言うこと。
でも番組が進み、終わりの頃にはペトロ三木への感想が変わっていました。
それは「この人は言葉が少なくって、勘違いされる人なんだなぁ…」って。
『もっと説明すれば、この人を理解してくれる人も多かろうに…』って思った。

投稿: ひりゅー | 2006年2月 8日 (水) 午後 06時57分

ギムさん、わかりやすいたとえですね。

私が北風にうたれた側かどうかは置いておいて、私らの世代には自分の命を賭けて迄自分の主張を通すのでなければ恥という認識がありましたよね・・・


自殺を肯定するわけではないけどね。

投稿: 390X | 2006年1月29日 (日) 午後 11時37分

北風と太陽の話があります。コートを脱ぐ事を「死」とするなら、私(おそらく390X様も)は北風に遭遇したのでしょう。厳しい状況になればなるほど人間が本来持つ生存本能が目覚めます。だから「死」にたいして明確な恐怖や負の思いが根付きますが、けど太陽はそうじゃない。
私にとって「死」は結果(コートが吹き飛ばされた)ですが、自殺志願者はただ単に(コートを脱ぐ)行為に過ぎないんです。
これは「生きる」って事に目覚めた人には理解し難いです。
けど、感じるって言うのかなぁ~深く追求してないんですよ。まず「死」ありきみたいな。北風はいやがおうにも「死」について考えを、それこそ理性的に捉えてしまいますから。
生存本能はおそらく人間の本能で何よりも強い。それこそ理性なんかでは到底かないません。だから「死」を躊躇う。けど、その生存本能が眠ったままなら・・・ってのがギムの考えです。
単に出会ったのが北風と太陽どちらだったか。
その程度の差で大きく道を外れるのかもしれません。

けど一度北風に出会うと太陽にあっても死なないと思います。それだけ北風のインパクトは大きいですから。
満ち足りた世界だからこそ自殺が多いのかもしれません。なんか難しいなぁ・・・

投稿: 竹中偽無 | 2006年1月29日 (日) 午後 07時10分

ギムさん、ペトロ三木氏、コメントありがとうございます。まとめレスで申し訳ないんですが・・・

私はどちらかというとペトロ氏よりギムさんの考え方に近い。

極限の状態っていうのは、私の場合は住むところもなく貧困に喘いでいた時期にもう死ぬしかないと思いつめていた状態をそう言ったのですが。

ガキの頃は義母の虐待・いじめ・自分の障害などで死にたいと思うこともありましたが、死ぬしかないんだと思うところまでいきませんでした。

私と番組に出ていた自殺志願者とどこが違うのか?
五十歩百歩ではないか?

悪いこと、あるいは、そうなりたくないと思いながら自分でもどうしょうもなくそうしてしまう。

何故、それが『死』に向ってしまうのか?

それをペトロ氏は悪魔に魅入られたと表現したんですね。

私が壊れていないかどうかはわかりません。

壊れている人間は自分が壊れているとは思わないでしょう。

私は・・・ペトロ三木氏の言葉は頭では理解できても、気持ちでは理解できていないと思う。

もし、私が番組のような彼らに会ったら、私が間違っていようがいまいが、同じようにキレるんではないか・・・

頑張れとは言わない、生きろとも言わない。

死にたければ死ねばいい。

私は・・・本当は冷たい人間なんです。


投稿: 390X | 2006年1月29日 (日) 午後 02時21分

伝わりづらいのは確かだな。

確かに「ジェネジャン!!」に出てた「自殺志願者」
は若い子が多くて人生経験も滲み出ないから
「何甘えたコト言ってやがる」みたく思えたりする。

でも放送された部分以外も含めて
あの現場で彼らの話を聞いた俺の感触としては
彼らには虐待経験とかいろいろな事情があって
「正常に機能しない部分」を抱えてるのを感じた。

確かに「プチ自殺気分」でリストカットとか
安易に繰り返してる未熟者もいないとは言えない。

でも多くの自殺志願者(特に自殺に「成功」して
しまうような人たち)だって、
逆に「100%死にたい」ってのはなかなかない
と思うのだ。

そちらは「死ねなかったのは極限の状態まで
行ってなかった」からと表現してるけど、
じゃあ極限まで行ったら「まっとうな自殺」で
極限まで行けないと「未熟者」ってコトでもないと
俺は思う。

極限まではなかなか行かなくても
何度もその衝動にかられるケースが「意志の弱さ」
だけじゃ説明できないと思うのだ。

脳内物質の化学反応だか何だかよくわからんが
「気持ち」が自分自身でもうまくコントロール
できないケースがかなり多いハズなのだ。

操縦不能に陥った飛行機の中で
パイロットが墜落しないようにといくら頑張っても
昇降舵や尾翼が壊れてたら、操縦桿をいくら動かしても
どーにもならない。

体の異常ってのは、肉体的なモノだけじゃないのだ。
前向きにならなきゃダメだとわかってても
「気持ち」をコントロールできない精神的な故障を
抱えてる場合もある。

しかもそれは他人には異常には見えない場合が多い。
「ジェネジャン!!」の自殺志願者の言葉が
「何甘えたコト言ってやがる」みてえに取られるのは
その典型。彼らは一生懸命説明してたけど、なかなか
理解してもらえない。ある意味当然だ。
自分自身でも何が何だかわかんねえ上に
「心が故障」してるから、うまく説明もできねえのだ。

今回の「自殺」の討論に関して俺が感じたのは
そんな壊れた人間の「自分自身の操縦不能さ」に
共感できる人間とできない人間の間に横たわる
絶望的なほどに深い溝があるってコト。

「想像力の欠如」って言葉はそーゆー意味で使った。
壊れた人間はうまく説明できねえのだから
壊れてねえ人間が歩み寄らなきゃならんのだ。

「意志が弱いから」「頑張らなきゃ」と言われても
どーにもならねえ衝動にかられちまう人間がいるって
コトを「想像可能なハズの人間」に伝えたかったのだ。

その意味で異論反論は大いに結構。
それでもまだ疑問があるなら質問には答えるぞ。

投稿: ペトロ三木 | 2006年1月29日 (日) 午前 12時50分

私も自殺志願者について書きましたが、難しいですね。
友人に自殺未遂をした人がいますが、その人が語るのを聞き
まるでコンビニに行くようにスゥ~っとやったんだなぁと印象を感じました。
私は(おそらく390ⅹ様も)死を死として捉えているので様々な問題がないと死を願いません。
それだけの苦悩がないと覚悟出来ませんしね。

けど、本当の自殺志願者はそうじゃない。
死の垣根はあまりにも低いのです。
まず「死」を苦とは認識していない部分がある。怖くないんですよ。むしろ殴られたりするほうが怖いみたいです。まずそこからずれてる。
390Ⅹ様は極限の状態に行かなかったから死ねなかったのではなく、極限の状態へ行く過程を経験したからこそ生きたのだと思うのです。

そんな経験したくない。だから死ぬ。
それが自殺志願者の思いなのかもしれません。
そんなのはギムの理解の範疇から逸脱しています。って言うより「死」を苦に思うギムは、お気楽に自殺する人が許せない。けどこんなこと言っても理解されないでしょう。
だから私がブログに書いていた文章は本当の自殺志願者には通じないと思いつつも、私の奥底の情念がそれを許さずに書いたのです。

うまくやろうとしたが出来なかったのは「どこのコンビニ行くかも決めないで外に出てしまった」感じです。それこそ場当たり的にやるから、成功率は低いみたいで友人はそれで助かったのですが、そこで生きるか死ぬかの境界線は「運」と「生命力」だけに思います。
まぁそれすらも一概にそうとは言えないですしね。
気軽に死ぬのも「死」何かを苦にして死ぬのも「死」です。それこそパターンは無限にあり、また急に「魔がさす」こともありますから、万人に通じる言葉はないのかも知れません。

ギムは想像力のあるなしではないと思います。
逆に他者を完璧に想像し、完璧に理解するってことはどだい無理な話だと思うからです。
それを言葉にするならなおさらです。

他者はどこまでいっても他者。
だけど、声を上げたい。理解されたい。
これがギムの垣根です。
だからギムは偽善者なのですよ。

ペトロ氏のブログはライブドア関連の記事みたいですね。まだ流し読みの段階ですので、なんとも意見しにくいですが、おそらく両者とも「間違ってない」と思います。
死に関しての思いをお互い違う視点から見ているだけに思うのです。
ここは大いに意見をぶつけあいましょ!
完璧に理解できなくてもお互い、理解するように努めるのは大切なことですから!
喧嘩上等って感じでもいいじゃないですか!

なんか取り留めのない文章の割りに長くなってしまいました・・・長文お詫び致します。

投稿: 竹中偽無 | 2006年1月29日 (日) 午前 12時16分

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